― 「やる気」ではなく、「面倒くささ」の見方を少し変えてみる ―
暑い。
何をするにも、少し体が重い。
やりたいことはある。
本も書きたい。
サイトも育てたい。
新しいことにも挑戦したい。
でも、いざ始めようとすると、
「あぁ、めんどくさい……。」
そんな気持ちが湧いてくることがあります。
つめたいコーヒーを飲んで
少しスマホを見たりしながら休憩して、
気が付けば一時間。
そして夜になって、
「今日も何も変わらなかったな。」
そんな日もあります。
「やりたいこと」なのに、面倒くさい
私は最近、サイトをより充実させるために、新しいツールを導入しました。
春頃からずっと使ってみたいと思っていたものです。
「早く使ってみたい。」
そんな気持ちで楽しみにしていました。
ところが、実際に導入を始めると、
設定をしたり、
エラーを調べたり、
慣れない画面を触ったり。
そのたびに、
「あぁ、めんどくさい……。」
という気持ちが出てきたのです。
その瞬間、ふと思いました。
「本当にやりたかったことじゃなかったのかな。」
「やっぱり自分は、面倒くさがりな人間のかな。」
でも、どうやら違ったようです。
「やりたいこと」と「やりたい作業」は違う
よく考えてみると、
本を書くことは好きでも、
何度も読み返して修正する作業は少し面倒です。
旅行は好きでも、
荷造りは好きではありません。
ワインは好きでも、
セラーの整理は後回しにしたくなることがあります。
つまり、
好きなことの中にも、エネルギーを使う工程は必ずある。
それだけのことでした。
「やりたいこと」と「やりたい作業」は、必ずしも一致しないのです。
「面倒くさい」は、脳からの自然なサイン
調べてみると、
脳は未知のことや、集中力を必要とすることに対して、多くのエネルギーを使います。
だから、
「面倒くさい。」
という感覚が生まれることがあります。
つまり、
面倒くさいからやりたくないのではなく、
エネルギーを使う工程に入ろうとしている。
そんな自然な反応なのかもしれません。
そう考えたら、少し気持ちが軽くなりました。
面倒くささの意味が変わった
以前の私は、
面倒くさい。
=やりたくない。
と思っていました。
でも今は、少し違います。
面倒くさいと思ったとき、自分に問いかけるようになりました。
この面倒くささは、未来につながるものだろうか。
この問いを持つようになってから、
面倒くささにも二種類あることに気づきました。
未来につながる面倒くささ。
そして、
ただ時間や気力を消耗するだけの面倒くささ。
どちらも同じように「面倒くさい」と感じます。
でも、その先にある景色は、まったく違います。
一番エネルギーを使うのは、始める瞬間
もう一つ気づいたことがあります。
実際に始めてしまうと、意外と進むことが多いのです。
大変なのは、
「始めるまで」。
たとえば、飛行機も離陸するときが、一番燃料を使います。
巡航に入ると、安定して飛び続けます。
人も少し似ているのかもしれません。
だから私は、
「少しだけやろう。」
よりも、
「やると決めたら、一気に進める。」
ことがあります。
何度も助走を繰り返すより、一度離陸してしまった方が、結果的に楽なこともあるからです。
面倒くさいは、「やりたいこと」が間違っているサインではなかった
昔の私は、
「面倒くさい。」
と思った自分を見て、
「向いていないのかな。」
「本当はやりたくないのかな。」
そう考えていました。
でも今は、少し違います。
面倒くさいと感じること自体は、
やりたいことの否定ではありません。
未来につながることに取り組む途中で、ごく自然に現れる感覚なのだと思っています。
だから最近は、
面倒くさいと思っても、自分を責めることが減りました。
おわりに
面倒くささは、きっとなくなりません。
でも、その意味づけは変えることができます。
もし今、
「あぁ、めんどくさい。」
と思ったら、
ほんの少しだけ立ち止まって、自分に聞いてみてください。
この面倒くささは、未来につながるものだろうか。
もし答えが「はい」なら、
その面倒くささは、未来の自分への小さな投資なのかもしれません。
そして、もし今、
「やりたいことなんて特にない。」
「毎日ただ面倒くさいだけ。」
そう感じているなら、今回の話は少し違うのかもしれません。
そんなときは、無理に面倒くささを乗り越えようとしなくても大丈夫です。
まずは、「少し気になること」や、「やってみてもいいかな」と思えるものを見つけること。
すべては、そこから始まるのだと思います。
面倒くささをなくすことはできないかもしれません。
でも、その見方が少し変わるだけで、自分との付き合い方は、きっと今より少し優しくなる。
私は、そんなふうに感じています。

