「どうせ私たちの世代は、年金をもらえない」
そんな言葉が、当たり前のように語られていた時期がありました。
少子高齢化が進み、年金を受け取る高齢者が増える一方で、支える現役世代は減っていく。やがて年金の積立金も底をつき、制度は維持できなくなる――。
テレビや雑誌では「年金破綻」「払い損」といった強い言葉が繰り返され、それを見た一部の若者が、
「将来もらえないなら、払っても仕方がない」
と、国民年金保険料を未納のままにしていることも話題になりました。
もちろん、年金制度に問題がないわけではありません。
しかし、あのとき語られていた「年金が破綻する」とは、そもそもどのような意味だったのでしょうか。
本当に、年金制度そのものがなくなり、払った人も何も受け取れなくなるという話だったのでしょうか。
今振り返ると、現実に存在する課題と、そこから導き出された結論との間には、かなり大きな距離があったように思います。
年金破綻説は、何を根拠に語られていたのか
年金破綻説には、まったく根拠がなかったわけではありません。
まず挙げられたのが、少子高齢化です。
日本の公的年金は、現役世代が納める保険料を、その時代の年金受給者への給付に充てることを基本としています。
子どもの数が減り、高齢者が増えれば、支える側の負担が重くなる。これは確かに、年金制度が抱える大きな課題です。
ほかにも、
- 年金積立金の減少や運用損
- 保険料の未納問題
- 若い世代ほど不利になる世代間格差
- 国の財政赤字
- 将来の給付水準の低下
などが、「このままでは年金がもたない」という根拠として語られました。
どれも無視できない問題です。
ただし、ここで注意したいのは、
年金制度に課題があることと、制度そのものが消滅することは同じではない、ということです。
「破綻」という言葉が、いくつもの問題を一つにした
「年金が破綻する」
この言葉は強く、分かりやすく、人の不安を刺激します。
しかし、その中身を詳しく見ていくと、いくつもの異なる問題が一つにまとめられていました。
たとえば、
- 将来の年金額が減る
- 物価上昇によって実質的な価値が下がる
- 保険料の負担が増える
- 支給開始年齢が変わる
- 税金からの負担が増える
- 制度そのものがなくなる
これらは、すべて別の話です。
年金額が今より少なくなる可能性があることと、年金をまったく受け取れなくなることは同じではありません。
制度を維持するために給付や負担が調整されることと、制度が消滅することも違います。
ところが、ニュースや雑誌の見出しでは、細かな違いが省かれます。
「将来、給付水準が下がる可能性があります」
という説明よりも、
「あなたの年金はもらえない」
と書いた方が、目を引くからです。
そうして本来は複雑な問題が、「払っても無駄」という、非常に単純な結論へと置き換えられていったのではなかと、わたしは感じています。
年金は、老後のための貯金だけではない
「払った金額より、将来もらう金額が少ないなら損だ」
年金をこのように捉える人もいます。
しかし、公的年金は、自分が積み立てたお金を老後に取り戻すだけの制度ではありません。
老齢年金だけでなく、病気やけがで一定の障害が残ったときの障害年金、家計を支えていた人が亡くなったときの遺族年金という役割もあります。
つまり、年金は老後のための積立商品ではなく、人生の予期せぬ出来事にも備える社会保険です。
必要な手続きをせず、保険料を未納のまま放置すると、老後の年金が少なくなるだけではありません。条件によっては、障害年金や遺族年金を受け取れなくなる可能性もあります。
(参考:日本年金機構)
経済的な事情で保険料を納めることが難しい場合には、免除や納付猶予の制度もあります。
「払えないから手続きをする」のと、「どうせ破綻するから放置する」のとでは、将来の結果が大きく違うことがあります。
もし当時、「年金は破綻する」という言葉だけを信じて未納を続けた人がいたとすれば、その人は情報を発信したメディアや専門家ではなく、自分自身でその影響を引き受けなければなりません。
ここに、情報との付き合い方の難しさがあると感じます。
年金制度は、条件を変えながら続いていく
年金制度は、未来永劫、同じ保険料と同じ給付条件が続くことを約束したものではありません。
少子高齢化や経済状況に合わせて、負担や給付を調整しながら続いていく制度です。
少なくとも5年ごとに財政検証が行われ、人口、賃金、物価、就業率、積立金の運用など、さまざまな前提を置いて将来の収支が確認されています。(参考:厚生労働省)
もちろん、この財政検証も未来を正確に予言するものではありません。
経済成長率や出生率などの前提が変われば、結果も変わります。将来の給付水準が下がる可能性もありますし、現役世代の負担が重くなる可能性もあります。
だから、「国の制度だから絶対に安心」と言い切ることもできません。
しかし一方で、年金制度は、ある日突然お金がなくなり、何の対策も取られないまま終了する仕組みでもありません。
その時代の人口や経済状況に合わせ、給付水準や負担のあり方を調整することで、制度を存続させようとします。
この現実は、「年金は破綻する」「絶対に安心だ」という、どちらの短い言葉にも収まり切るものではありません。
年金への不安が、すべて間違っていたわけではない
ここで誤解したくないのは、年金への不安を口にした人が、すべて間違っていたわけではないということです。
少子高齢化は今も続いています。
若い世代の負担感や世代間格差、将来の給付水準にも、考えなければならない問題があります。
また、公的な試算であっても、置かれた前提が妥当なのか、自分で確かめる視点は必要でしょう。
問題は、年金への懸念を示したことではありません。
本来なら、
「今の条件のまま維持することは難しい」
と説明すべきところが、
「年金は破綻する」
「若者は何も受け取れない」
「払うだけ損だ」
という強い言葉に置き換えられてしまったことです。
その言葉が誰かの関心を集めるためだったのか、危機感を持ってもらうためだったのか、本当の意図までは分かりません。
ただ、結果として、その情報を信じた人の人生に影響を与えた可能性はあります。
そして、発信した側がその責任を引き受けてくれるわけではありません。
大きな声ほど、その中身を確かめたい
年金に限らず、私たちは毎日のように強い言葉に触れています。
「今すぐ投資をしなければ手遅れになる」
「この資産は必ず暴落する」
「老後には何千万円必要だ」
「これからは、この方法しかない」
不安を刺激する言葉は、人を行動させる力を持っています。
ただし、大きな声が、必ずしも正しいとは限りません。
強く言い切る人ほど、未来を正確に知っている… というわけでもありません。
そんな情報や発信者に出会ったときは、すぐに信じたり否定したりする前に、少し立ち止まってみる必要があります。
その人は、どのような根拠を示しているのか。
どのような前提で話しているのか。
事実と予測が混ざっていないか。
いくつかある可能性のうち、最も極端なものだけを取り上げていないか。
そして、その情報を信じて行動したとき、困るのは誰なのか。
すべての情報を、自分一人で詳しく調べることはできません。それでも、強い言葉をそのまま自分の判断にしないことはできます。
自分で判断するために、私たちは学ぶ
「自分で考える」と言うのは簡単です。
けれど、何も知らないまま考えても、判断の材料がありません。
年金制度がどのような仕組みなのかを知らなければ、「破綻する」と言われたときに、その意味を確かめることもできません。
金利を知らなければ、預金や住宅ローン、債券の変化を理解しにくい。
インフレを知らなければ、現金の金額が減っていないのに、なぜ生活が苦しくなるのかも見えにくい。
投資の仕組みを知らなければ、「絶対に儲かる」という言葉の不自然さにも気づけません。
学ぶのは、専門家になるためでも、誰かの意見をすべて否定するためでもありません。
自分の人生に関わる判断を、知らない誰かの大きな声に預けてしまわないためです。
未来を当てるより、選べる状態をつくっておく
将来、年金をいくら受け取れるのか。
給付水準や支給条件が、どのように変わるのか。
今の時点で、正確に言い当てられる人はいません。
だからこそ、「年金は絶対に大丈夫」と信じ切ることも、「どうせ破綻する」と切り捨てることも、少し違うのだと思います。
まずは制度を知り、自分の加入記録や見込額を確認する。
公的年金だけに頼るのが不安なら、預貯金や投資など、ほかの備えも考える。
状況が変わったときに、選び直せる余白をつくっておく。
私たちを守るのは、未来を言い当てる強い言葉ではありません。
情報を受け取ったあと、一度立ち止まり、自分で確かめ、考える力です。
大きな声に人生を預けない。
そのために知り、学び、自分の判断を持つ。
年金破綻説を振り返ることは、これから多くの情報とどう向き合っていくのかを考える、ひとつのきっかけになるのではないでしょうか。
お金のことを、少しずつ考える習慣を
お金のことは、必要になってから慌てて調べようとすると、難しく感じるものです。
けれど、普段から少しずつ情報に触れていると、
「これは自分にも関係がありそう」
「こんな考え方もあるのか」
と、自然に立ち止まって考えられるようになります。
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