「自分なんかが飲んでいいのかな」と思っていた 高いワイン。
でも、その一杯のワインが人生の感覚をひらいてくれた話 です。
高いワインを前にすると、少し怖かった
「こんなのにお金を使うくらいなら。」
以前の私は、
高いワインを見るたび、
どこかでそう思っていました。
もちろん、
ワインは好きでした。
でも、
数万円もするワインなんて、
自分には縁のない世界だと思っていたのです。
もし美味しくなかったらどうしよう。
期待外れだったら?
その金額を、
もっと“意味のあること”に使うべきでは?
そんな声が、
頭のどこかで聞こえていました。
だから結局、
いつも“失敗しない価格帯”ばかり選んでいた気がします。
・知っている産地
・知っている味
・安心できる選択
それは、
ある意味とても合理的です。
でも今振り返ると、
あの頃の私は、
「ワイン選び」だけではなく、
人生そのものでも、
安全圏から出ないようにしていたのかもしれません。
モンラッシェ、オーパスワン、ラトゥールとの出会い
ワインの味以上のものを受け取っていた
20代の頃。
私は運よく、
モンラッシェを飲む機会がありました。
さらに、
オーパスワンワイナリーを訪れ、
現地でオーパスワンを口にしたこともあります。
そして後年、
シャトー・ラトゥールとも出会いました。
もちろん、
味そのものも素晴らしかった。
でも、
今振り返って思うのは、
私が本当に受け取っていたのは、
“味”だけではなかったということです。
「こんな世界があるんだ。」
その感覚でした。
香り。
空気。
時間。
背景。
そこに流れている文化。
人が、
長い時間と熱量を注ぎ込んできたものが持つ、
独特の存在感。
ワインを通して、
“人生の幅”のようなものに触れていたのだと思います。
コスパやタイパでは測れない豊かさ
効率だけでは、人は満たされない
今の時代は、
コスパやタイパが重視されます。
もちろん、
それ自体は悪いことではありません。
限られたお金や時間を、
大切に使うことは必要です。
でも、
効率ばかりを追いかけていると、
人生から
・寄り道
・偶然
・余白
・ときめき
のようなものが、
少しずつ減っていくことがあります。
旅行もそう。
趣味もそう。
そして、
ワインもそうです。
合理性だけで言えば、
もっと安いお酒でも酔えます。
そもそも、お酒なんて飲まなくても生きていけます。
むしろ飲まないほうが健康に良いのかもしれません。
でも人は、
香りや物語、
熟成や背景に惹かれる。
つまり人間は、
“効率だけでは満たされない生き物”
なのだと思います。
子育てや仕事を頑張ってきた人ほど、自分を後回しにしてしまう
「自分のため」が苦手になっていく
50代以降の女性とお話をしていると、
「自分のためにお金を使うのが苦手」
という方が本当に多いです。
家族優先。
子ども優先。
失敗しないこと。
無駄遣いしないこと。
ずっとそうやって、
周囲のために頑張ってきた。
だから、
「自分がちょっと嬉しい」
のためにお金を使うことに、
どこか罪悪感が残っている。
でも本当は、
“理由はうまく説明できないけれど、
なぜか心が動くもの”
って、
人生の後半をとても豊かにしてくれる気がするのです。
それは、
ワインかもしれない。
旅行かもしれない。
食器などの器かもしれない。
音楽かもしれないし、アイドルかもしれない。
誰かに理解されなくてもいい。
コスパで説明できなくてもいい。
「なぜか気になる」
その感覚を、
少しだけ大切にしてみる。
それだけでも、
人生の空気は変わり始めるのかもしれません。
いつか、「自分では選ばなかった一本」を届けたい
高いワインを飲むことが偉い、
という話ではありません。
ただ、
自分では選ばなかった一本が、
人生の視野を少し広げてくれることがある。
「こんな世界があったんだ」
そんな感覚が、
止まっていた感覚を、
静かに動かしてくれることがあるからです。
自分では選ばなかった一本が、
人生の景色を少し変えてくれることがあります。
だから私はいつか、
「こんなワイン、自分では選ばなかった」
そんな一本との出会いを届けられる場所を、
作れたらと思っています。
ワインの豊かさとは、
味だけではなく、
“人生の感覚をひらいていくこと”
そのものなのかもしれません。
子育ても、
仕事も、
周囲への気遣いも。
ずっと頑張ってきたからこそ、
これからは少しだけ、
「なぜか気になる」
「なんだか心が動く」
そんな感覚を、
後回しにしなくてもいいのかもしれません。
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