なぜドン ペリニヨンは、人を惹きつけるのか

ワインのある暮らし


20代前半のころ、好意を寄せていた人とホテルのクリスマスディナーへ行ったことがあります。

そのディナーには、グラス一杯のドン ペリニヨンが含まれていました。

席に着くと、まずドン ペリニヨンがグラスに注がれます。

「おお、ドンペリだ!」

と、かなり気分が高揚しました。

味がどうこうというより、有名シャンパンであるドン ペリニヨンを好きな人と一緒に飲んでいる。そのこと自体が嬉しかったのだと思います。

ところが、一口飲んだとき相手が、

「これ、なんてシャンパン?」

と聞いてきました。

心の中では、

「だから、ドンペリだよ!」

と思いつつ(笑)、

「おいしい?」

と聞いてみました。

返ってきたのは、

「う〜ん……ちょっと味がよくわからない」

という、なんともそっけない答え。

私は少しがっかりしました。

今から考えれば、なんともミーハーです。

当時の私が知っていたのは、

「高いシャンパン」
「貴重なシャンパン」
「特別な日に飲むもの」

というくらい。

それでも、「ドンペリ」という名前には、すでに特別な価値を感じていました。

一方で、一緒にいた相手にとっては、ただの一杯のシャンパンだったのかもしれません。

では、なぜ私は、造り方も歴史も知らなかったのに、ドン ペリニヨンにこれほど惹きつけられていたのでしょうか。

毎年造られるシャンパンではない

ドン ペリニヨンを知っていくと、まず印象に残るのが「ヴィンテージ・オンリー」という考え方です。

シャンパーニュには、複数の収穫年のワインを組み合わせて、そのブランドらしい味わいをつくる「ノン・ヴィンテージ」も多くあります。

一方、ドン ペリニヨンは、ひとつの収穫年の葡萄から造るヴィンテージ・シャンパーニュだけを造ります。

そして、毎年必ず造られるわけではありません。

その年をドン ペリニヨンとして表現できると判断した年だけ造られるのです。

公式資料によれば、通常のドン ペリニヨンでも少なくとも8年以上の時間をかけて造られます。ロゼでは12年以上、さらに「プレニチュード2(P2)」では15年以上とされています。

 

つまり、若いころの私が、

「高いシャンパンだから特別なんだろう」

くらいに思っていた一本の後ろには、

造る年を選び
ときには造らないことも選び
長い時間をかけて、その年の個性を形にしていく

そんな考え方がありました。

価格だけを見ていたころには、まったく見えていなかった部分です。

ドン・ピエール・ペリニヨンという人物

ドン ペリニヨンという名前は、17世紀のベネディクト会修道士、ドン・ピエール・ペリニヨンに由来します。

彼はよく、

「シャンパンを発明した人物」

と紹介されることがありますが、これは少し違います。

シャンパンは、誰か一人によって発明されたものではありません。

ドン・ピエール・ペリニヨンの大きな功績のひとつとされるのが、葡萄や異なる畑のワインを見極め、組み合わせることです。

それぞれの個性を生かしながら、よりバランスの取れた高品質なワイン造りに貢献した人物とされています。

同じヴィンテージにも、その先がある

ドン ペリニヨンについて調べていて、私が特に面白いと感じたのが「Plénitude(プレニチュード)」という考え方でした。

ドン ペリニヨンは、そのヴィンテージのすべてが出荷されるわけではなく、一部は長期熟成用として造り手のセラーに残されます。

シャンパーニュは通常、瓶の中で二次発酵を行います。その発酵が終わると、瓶の中には酵母などからできた「澱(おり)」が残ります。

通常は、この澱を取り除いてから出荷されるのですが、長期熟成用に残されたものは、その澱をすぐに取り除かず、ワインと触れた状態のまま、さらに長い時間をかけて熟成させます。

その間に、香りや味わいは少しずつ変化していきます。

だから、普通のドン ペリニヨンを、自宅セラーはもちろん、ワイン専用倉庫で15年保管しても、P2にはなりません。

通常のドン ペリニヨンは、出荷前にすでに澱が取り除かれているからです。

P2との違いは、単に「何年置いたか」ではなく、どのような状態で、その時間を過ごしたかにあります。


ワインに時間を与えること自体は珍しいことではありません。

たとえばシャトー・ラトゥールも、現在はプリムール(先物販売)をやめ、飲み頃を迎え始めるまでワインをシャトーで保管・熟成させてから市場へ送り出しています。

ただ、ドン ペリニヨンのPlénitudeは、少し違います。

同じヴィンテージの一部を市場へ送り出すことなく澱とともに残し、そのワインが次の表情を見せるまで待つのです。

P2は、通常のドン ペリニヨンより「上」というより、

同じヴィンテージの、その先。

そう考えた方が、私にはしっくりきます。


そして、P2のさらに先にP3があります。

P3は、さらに長い時間を造り手のセラーで過ごし、第三の「Plénitude(プレニチュード)」に達した、ごく限られたボトルです。

単なる「最上級ドンペリ」と捉えるだけでは、この考え方を少し取り逃してしまいます。

同じ年に生まれたワインが、さらに長い時間を経ることで、違う表情を見せる。

そこまで待つ。

ドン ペリニヨンにとって、時間は単なる保管期間ではなく、ワインを形づくるものの一つなのでしょう。

28年間、ドン ペリニヨンを見続けた人

このドン ペリニヨンを長年率いた人物の一人が、リシャール・ジョフロワです。

彼は28年間にわたり醸造最高責任者を務め、2018年にヴァンサン・シャプロンへその役割を引き継ぎました。

その後、彼が向かった先は日本でした。

そして、日本酒「IWA 5」の造り手になります。

ドン ペリニヨンで培ってきたアッサンブラージュの考え方を、なぜ日本酒へ持ち込んだのか。

この話については、

「ドン ペリニヨンを離れ、なぜ日本酒へ?|リシャール・ジョフロワとIWA 5」

で詳しく書いています。

ドン ペリニヨンを離れ、なぜ日本酒へ?|リシャール・ジョフロワとIWA 5
ドン ペリニヨンの醸造を28年間率いたリシャール・ジョフロワは、なぜ次に日本酒を選んだのか。IWA 5のアッサンブラージュ、富山・桝田隆一郎氏との出会いから、その背景をたどります。


一つのシャンパーニュの歴史や関わった人物などをたどっていくだけでも、その背景から思いがけない世界へつながっていきます。
 

「高いから特別」だけではなかった

20代の私はドン ペリニヨンを、

「高い」
↓
「貴重」
↓
「きっと誰もが欲しがるもの」

くらいに考えていたのだと思います。

ずいぶん単純です(笑)。

 

でも今、あらためてドン ペリニヨンを見てみると、その名前の後ろには、当時の私には見えていなかったものがあります。

造る年を選ぶこと。

造らないという判断をすること。

通常のヴィンテージでも長い時間をかけること。

さらにその一部を残し、P2やP3という次の表情まで待つこと。

17世紀の修道士の名前から続く歴史。

そして、ホテルやレストラン、祝いの席など、特別な時間の中で飲まれてきた記憶。

もちろん、それらがあるから、誰にとってもドン ペリニヨンに価値があると言いたいわけではありません。

何に価値を感じるかは、人によって違います。

あのクリスマスディナーで、一緒にいた相手の反応が薄かったように(笑)。

むしろ今なら、それもよくわかります。

味は忘れても、名前は残っていた

初めてドン ペリニヨンを飲んだのも、20代のころでした。

そのときの話は以前の記事、

「好きなのはヴーヴ・クリコ、持ちたいのはドンペリ・ロゼ」

でも書いています。

正直に言えば、そのときの香りや味わいを、私はほとんど覚えていません。

ホテルのクリスマスディナーで飲んだ一杯についても同じです。

どんな香りだったのか。

酸はどうだったのか。

余韻がどれくらい続いたのか。

そんなことは覚えていません。


それでも、

「あのとき、ドンペリを飲んだ」

ということだけは、今でも覚えています。
 

20代の私は、ドン ペリニヨンの造り方も歴史も知りませんでした。

P2やP3についても、その存在すら知りませんでした。

それでも、その名前には特別な何かを感じていました。

今なら、その理由を少しだけ説明できます。

品質。
時間。
歴史。
造り手の考え方。
名前が持つ力。
そして、その一本と一緒に残る記憶。

どれも、ワインの価値を形づくるものなのだと思います。

 

ただ、その中の何に心を動かされるのかは、人によって違う。

私にとってドン ペリニヨンは、味だけではなく、「あのとき、ドンペリを飲んだ」という記憶まで含めて残っている一本です。

だから今も、その名前を聞くと、少しだけ特別な気持ちになるのかもしれません。


ワインの価値は、価格や評価だけで決まるものではありません。

どんな時間を過ごしてきたのか。
なぜ自分は、その一本に惹かれるのか。
そして、そのワインとどんな記憶が残っているのか。

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